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理念
雪の結晶ができる為には「核」を必要とします。人が目標を達成する為には、同じように必要なものがあるのでしょうか。我々はこの質問に「Yes」と答えます。それが理念です。我々は、人が目標を達成する為には「心」、「技」、「体」の視点を持ち、これらの3つがバランス良く整っている事が必要であるとの理念により、サービスを提供します。目標を達成する為には、行動し続けなければなりません。その為には、「心」が必要なのです。目標を達成する為には、何をどう出来れば良いかを決めるとともに効率的に妥当性を保持してそれを実行しなければなりません。その為には、「技」が必要なのです。目標を達成する為には、その目標を達成する為の条件が備わっていなければなりません。その為には、「体」が必要なのです。目標が壮大であればある程、目標までの時間が長ければ長い程、目標に必要な条件が複雑で膨大な程、この「心」、「技」、「体」の理念が効果を発揮するでしょう。
■心(Philosophy)
「心」とは、目標を明確にするとか、自身を律する強い心を持つとか、そう云う事を言っている訳ではありません。確かに、目標を明確に持つ事、努力を惜しまない事は重要であり、我々の指針である「心」の概念に含まれてはいます。しかし、最も重要なポイントではありません。実際に経験したことですが、ある高校生が1ヶ月後の定期試験で平均点以上を取りたい、その為の努力は惜しまないと相談された事がありました。普段、赤点ギリギリの点数だったため、1ヶ月必死で勉強したとしても難しい状況でしたが、範囲も膨大で、定期テストはまだ続く事も考えると、基本を積み上がるのが遠回りの様で近道である、まさに急がば回れであるとアドバイスしました。すると彼は、部活動が忙しく週一回2時間しか勉強時間が取れない為、そのやり方では無理だと思うので他の方法を提案して欲しいと言い出しました。その後、お父様ともお話させて頂いたのですが、その生徒も聞いている中で、ゆくゆくはそのスポーツで生計を立てさせる予定なのでテストの点だけ取れれば良いと説明されました。私は、「かなり難しい課題であり、一番苦しんでいるのは本人であると思う。」と言うことしか出来ませんでした。この話に「心」の本質が隠されています。一言で言えば、「正しく考える事」が目標達成には必要であると、我々は考えています。ここで言う「正しい」とは善悪ではありません。正に「哲学」が目標達成には必要なのです。
■技(Capability)
「技」とは、具体的には知識を自身に取り込む事、そしてそれを自在に取り出す事とであると考えています。この技術はあらゆる人に、あらゆる組織に、あらゆるチームに共通なものでしょうか。確かに共通な技術はありますが、我々はその人、その組織、そのチームに固有な技術があり、それを確立させる事が必要だと考えています。有名大学に合格した学生が、高校生たちに向かって自信満々で知識をひけらかし、それを聞く高校生はその通りにすれば有名大学に合格する事が出来ると思い必死で聞いている、そんな光景を何度も目にしました。本当は薄々気づいているのではないでしょうか。そんな事をしても可能性は高まらない事を。なぜなら技術はその人、その組織、そのチームに固有なものだからです。やらなければならない事は、自身を深く知り、自分にあった技術を確立する事です。時に自身を知る事は苦痛を伴います。時に技術を確立することは困難を伴います。我々はその事実を認めた上で、自身を知る事、技術を確立する事を止めない様に、叱責し、励まし、提案し、指摘し、あらゆる方法を持って支援する事が重要と考えています。
■体(Ability)
「体」とは、能力と考えています。例えば、100mを10秒で走る人がいれば、その人は速く走る能力を持っている事になるでしょう。では、努力すれば誰でも100mを10秒で走れるようになるのでしょうか。確かに、能力は先天的なものの比重が大きいように感じます。これと同じ事が学習にも言えるのでしょうか。少なくとも、同じである事の納得にいく形での説明を聞いた事がありません。また、学習の目的は100mを10秒で走る事とは違うのではないでしょうか。能力の向上は一般的に難しいかもしれませんが、学習に関して諦める必要はないのです。我々は、まず自身の能力を把握する事、そしてその能力を向上する為に努力し続ける事が重要であると考えています。
講師紹介
大学を卒業後大手鉄鋼会社に入社し約20年に渡り要職を歴任のした後、外資系企業に転職し約5年の間、業績に貢献。その後、塾講師、中学校、高校への派遣講師、家庭教師として現在に至る。会社での経験をもって現在の教育現場の問題点を肌で感じ、個人、組織、チームにも適用可能な「心」「技」「体」の目標達成メソッドを考案し、現在も現場で奮闘している。教育現場の問題点は、小、中、高、大を通じ、「子供が子供を教えている事」と言い切る。